寺山心一翁プロフィール | 意識が高まるとすべてがうまくいくという思いが、仕事の源泉なのです。

寺山心一翁プロフィール

寺山心一翁プロフィール

こんにちは 寺山心一翁です。

プロフィール

私の愛の出発点は、48才の時にガンになったことです。
手術、放射線、抗がん剤と治療をしましたが、徐々に末期に近づいていました。

そのとき私は、いくつかの意識の変革と成長を体験し、ガンは自分が作ったのだと気がつき、ガンに愛を送りました。

ガンという=自分に愛を送ることで、自然治癒力が働き、病は姿を消したようでした。

この体験を通して、私は宇宙的な愛の力に気がつき、やがて、意識の超越理論を創案するきっかけができました。

意識が高くなることは、私たちが成長するために大切なことです。

感じていることを、的確に言葉で表現することが、私には難しいですが、愛に気がつくと意識が高くなる・・・するとすべてが上手くいく・・ということが、私の仕事の源泉です。 

皆さんと、さらに先に、進みたいと思います。

寺山 心一翁 2017年 春
有限会社寺山オフィス 代表 寺山 心一翁

寺山 心一翁 プロフィール

プロフィール
写真協力:(株)致知出版社
月刊『致知』編集部

少し長い略歴
(ガンが治ったこと、フィンドホーンでの出来ごとは、拙著に書いています)

1936年東京生まれ。
銀行員だった父の転勤に伴い、小学校4年から中学2年までを岩手県盛岡市で過ごす。後に病を得て宮沢賢治の素晴らしさを再認識するに至るのは、この盛岡時代に父の勧めで参加した「賢治子供会」の影響も大きいと思われる。

早稲田大学第一理工学部電気工学科入学。電気工学科の授業を受講しながらも、1年生のときから大学院の物性物理のゼミや授業を受講し、大学院の学生の実験の助手を勤めて物性物理への研鑽を深めた。
物性物理を学んでいたことが縁で、卒業後は(株)東芝に入社し、半導体素子の研究開発や製造に従事した。

37歳のときに東芝を退職。1980年、企業へのコンピュータ導入の指導を主な業務とする「寺山コンサルタンツオフィス」を設立。仕事が多忙を極めていた1984年に右腎臓ガンとなる。

手術、抗がん剤、放射線による治療を続けたが、ガンが肺など他部位への転移でがん末期の状態になり、死を覚悟して自宅に戻ることにした。

それ以降は、医師におもねることもなく、自宅で過ごす毎日になった。
やがて、ガンに愛を送るという深い気づきを得る。
25年ぶりにチェロの練習を再開したのもこの時期である。

その後は、自らの直感に従い、副作用の無い様々な自助療法などを取り入れ、ガンは自然に治癒していった。 自分では、からだとの調和をはかりながら、直感的に自分に合う方法を選び、統合的に取り入れていった結果でもあると感じている。

ガンを治そうとしていたときに出会った「ホリスティック」という考え方に共感し、ガンに罹患している状態で日本ホリスティック医学協会の創設に参画。1987年の創立から常任理事を務め、同協会でマネージメントに関わる。

1988年10月、ガンがまだ完治していなかったが、スコットランドのスピリチュアル共同体で、財団になって間もないフィンドホーン財団に招聘されて講演。
このことが縁で、1988年にフェロ―に選出された。以来現在まで継続して務めている。

1989年3月に、フィンドホーンとの縁がきっかけで知り合った人から、シアトルで開催されるアメリカン・ホリスティック医学学会(AHMA)の情報がもたらされ、設立間もない日本ホリスティック医学協会の理事会で参加を決定。
このAHMAで、アンドルー・ワイル博士と出会うことになった。以後、10年にわたりAHMAに参加して、3度の講演をしている。この縁で、アメリカのTV番組にも出演した。

また同じ1989年10月、AHMAの紹介が縁で、インドの世界ホリスティック医学・健康会議に招聘され、日本からグループ13名で参加し、講演をおこなった。

短い期間に、この2つの学会に参加したことがきっかけで、日本ホリスティック医学協会の代表として、アメリカン・ホリスティック医学学会に10年連続して参加することになった。

1990年4月にはワイル博士から招聘されてアリゾナ大学医学校で講演をした。
ワイル博士は自著『癒す心・治る力』(角川書店」"原著"Spontaneous Healing" にがんが完治した症例として、寺山のガンの治癒を取り上げて書いてくださった。

1987〜1995の間、日本ホリスティック医学協会の常任理事を務め、協会の代表として、海外の学会に参加することで、多くの縁ができ、海外と協会とのネットワーク作りをおこなった。

ワイル博士は自著の中で、寺山を「ホリスティック医学運動の国際的ネットワーカー」と書いている。

1998年に出版された『フィンドホーンへのいざない』(サンマーク出版)は、当時まだあまり知られていなかったフィンドホーンを紹介した本として、現地に行ってみたい日本人の人達のバイブル的な1冊となった。

1998年以来、開催された年は必ず、アメリカのコロラドで開催されるISSSEEM(サトルエネルギー・エネルギー医学)学会に参加しており、ISSSEEMを始め、海外で講演やワークショップをおこなっている。フィンドホーン財団には23回(2017年現在)、イスラエルへの渡航は8回を数える。

がんの回復過程で得た様々な気づきと智慧から「意識の超越理論」を創案し、1996年イスラエルの死海学会で初めて発表した。

2005年に有限会社超越意識研究所を設立。2006年10月には日本教文社から、『がんが消えた』を上梓。以来11年、いまだに版を重ねている。

同時期より『心さんの愛と癒しのワークショップ』を3年間、20回定期開催。
その後、『スマイル・ワークショッ』に内容を引きつぎ、2017年まで、ほぼ隔月での定期開催を継続中。

2007年4月から、朝日カルチャーセンター・新宿教室で「意識の超越理論」の連続講座が開講、2017年で11年目を継続中。

2009年には、ISSSEEMにおいて、長年の功績により、同学会からThe Doug Boyd Wisdom Keeper Award を授与された。

2010年4月から2014年3月まで、NHK文化センター・青山教室で毎月1回、「自然治癒力」の講座を務める。

寺山の活動の柱は、愛ある智慧者を育てること。

私たち一人ひとりが意識を高めることの重要性と、すべての鍵は愛であること、感じる力を呼び戻すことの大切さを説き続け、チェロを片手に、国内外で意識を高めるための講演やワークショップをおこなうとともに、ホリスティック経営コンサルタントなどの活動をおこなっている。

現役職

著書

CD・DVD等