2012年7月 寺山心一翁 月の言葉 | 寺山心一翁のガン治しの方法は、ガンに愛を送ること、意識を高めること。

寺山心一翁 月の言葉

寺山心一翁 月の言葉

2012年7月の言葉

2012年7月の言葉

7月は例年にない、高温と洪水が各地に起こりました。
マスコミは異常気象という表現をしておりましたが、私はまさに、人災だと思った月でした。
益々、この傾向は続いていくでしょう。

滅多に起こらなかった竜巻が、日本各地で頻発するのを見ても、すでに、皆さんは気づいていること思います。

2012年7月の言葉

7月最初の日は、女神山でのスマイルワークショップの最終日でした。
梅雨の真っ只中だったにもかかわらず、ワークの間の3日間とも、梅雨を忘れたような、すんだ青空に恵まれました。
過去13年、いつもこの時期には、アメリカの西海岸の澄みきった空の下におりましたが、今回のワークは、どこにいるのか忘れるような気持ちになりました。
私は精一杯ワークショップを楽しみ、長野から帰りました。


長野から帰った翌々日、いつもの朝日カルチャーセンターで「意識の超越理路」の講座を務めました。第4講目の今月は、「神のレベル〜愛に目覚める」というテーマです。
愛に目覚めることで起きた意識の変化は、私が、がんに愛を送ったことから起きたことで、意識の超越理論のレベルにあてはめると、神の意識レベルで起こることです。

熱心に聴いてくださった皆さんが、終わった後、惜しみなく拍手を送ってくれました。
皆さんの心に、愛に目覚めることの大切さが深く印象づけられたのだと感じました。

7月7日、777会という名称の、高校時代の同期会がありました。
77歳の喜寿を迎えた年の、7月7日に会合を持とう、を合言葉に、卒業以来こんにちまで、同期生らが、毎年、集まってきました。いよいよ今年が、その時となりました。

2012年7月の言葉

今回は、同期の私達とその奥さん達が4人参加されました。
喜寿ともなると、皆の加齢の差が著しく目だってくる年でもあります。
28年前、私は皆を前にして、「来年はお会いできません」と言ったのが嘘のようです。
私が一番、元気に生活をしているように思えました。
多くの諸君が、病院通いで病気の話しをしているのに、私は元気で、山登りの話などをしました。


場所は、目白の椿山荘でした。蛍を見ながらの集いになるはずでしたが、あいにくの雨で、見ることができませんでした。

学校からは、現在の谷川平夫校長先生が駆けつけてくれました。和気あいあいとはまさにこのようなことでしょう。77歳を迎えた私たちは、幸せ一杯で名残をおしみながら、家路につきました。

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7月10日、「真健康人の集い」に招かれて、意識の超越理論を中心とした講座をしました。

場所は目白庭園でした。集まった皆さんが、意識のあり方で人の行動が変わるということを、大変興味をもって聞いてくださいました。


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自然がいっぱいの庭園を窓越しに眺めながら、講座を聞く趣向は、聞いてくださる人々の気持ちも、また、話しをする私の気持ちもリラックスさせてくれたように思います。
大いに楽しみ過ごした1日となりました。


7月14日、12歳になる孫娘、青葉のピアノのおさらい会がありました。会の付録として、父母との連弾もありました。

その中で、おじいちゃんと一緒、というのは私と青葉の組だけでした。
チェロとピアノの合奏で、異色のとりあわせになりましたが、ここまで生きていたことを、しみじみ幸せに感じる日でした。

2012年7月の言葉
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7月15日、16日と2日間、第18回ガンコンベンションが開催されました。
私は、初日の最終講演者でした。「意識を高めて、ガンを癒そう」というテーマで意識の超越することが、ガンの自然治癒を助けたことを語りました。


2012年7月の言葉

皆さんからの反響が思いのほか大きくて、持参した「ガンが消えた」は、4〜5時間で完売しました。


2012年7月の言葉
2012年7月の言葉

このガンコンベンションは、代替療法でガンを治していこうとする人々が集まる、異色のコンベンションです。アメリカに端を発し、日本でも過去17回おこなわれてきました。
来年は7月6日、7日に予定されているようです。


7月17日、NHK文化センターで「自然治癒力と意識」の講座がありました。
〜経験を腑に落として地に足をつけよう〜という内容で、2300年前から脈々と続いている、黄帝内経のことに触れながら、経絡の理論にもとづく、鍼灸や指圧など、日本の伝統的な癒しの療法について話しをしました。
たとえば、脈診などは、科学を超えている技術であるということを伝え、このような方法は、自然治癒力を高め、長い間、人々の健康を維持してきたことを語りました。

しかし、このような伝統的な方法が、なぜ、日本で皆さんの注目から外れてしまったのでしょうか。
アメリカをはじめ、西洋医学の先進国では扱われていないという理由から、明治政府が、西洋医学優先策を取り入れたために、主要な療法からはずされたことが、残念でなりません。

7月23日、サトルエネルギー学会の事務局で、長年頑張って組織の維持に力を尽くされた、土橋登志子さんが亡くなり、お通夜に参列しました。
ご主人の土橋理博さんも、サトルエネルギー学会の学術委員長を務め、学会の発展につくされましたが、5~6年前に亡くなられました。ご主人と私は背格好が似ていたことから、登志子さんから形見のジャケットをいただき、今も大切に着ています。
私は登志子さんとご一緒したISSSEEMでのことなどを思い起こしながら、心からご冥福をお祈りしました。

7月を終えるにあたり、8月の女神山のワークショップが満員になりました。
次回8月の言葉にその詳細をお伝えします。

(署名)愛 心